西日本自転車旅 20日目

2022年6月11日

 

●今日は、和歌山県の中辺路には入りたいので、早朝に出発する予定である。テントから出て、昨日の洗濯ものを見るも全く乾いていない。雨は降っていないが、夜中だし風もないので当然というば当然である。野宿地の河原から見た十津川にかかる橋の様子。

朝、5時42分に出発。168号線を南西方面に進む。

 

●小原大橋を渡って十津川村役場の近く、「陸軍大尉荒木貞夫終焉の地」の石碑。「元陸軍大将 荒木貞夫は、1966年10月、十津川村を訪れて史料調査や講演を行った。しかし、11月1日十津川荘で心臓発作を起こして死亡。天誅組の変と2.26事件が似ていることに関心をもっており、その舞台(天誅組の変)となった十津川取材は念願だったようだ」とある。

 

十津川温泉「庵の湯」に到着。「飲泉」とあるので当然飲んでみた。飲める温泉はそうないからだ。程よい温度と口当たりでやはり美味しい。

 

●7時頃、168号線の「ドライブイン長谷川」が開いていたので、朝食を食べられるのではと覗いたが、特定の人しか食べられないとのことで断念。

 

●十津川から上湯川の橋を渡り、168号線も山道坂道になっていく。坂道休憩で「三龍明神」を発見。新しい赤い花が鮮やかにそえられている。

ひたすら坂道を登り、トンネルを通り抜けると下り坂になる。私の経験では、トンネルが坂道のピークで抜けると下り坂になることが多い。

 

●トンネル後、例によって下り坂になり、名もない「水飲み場(天然水)」を発見。google mapでは表示される。二津野大橋の近くだ。二津野ダムから十津川からいよいよ熊野川にかわる。

 

google mapでは「山の神」と表示される、「十二滝」と「召波句碑」を発見。十二滝は80mほど上から流れ落ちる見事な滝だ。召波とは「黒柳召波(しょうは)」で江戸時代中期の俳人である。「十津川や 耕人の 山刀」十津川郷士と言われた人でこの地方の風土や歴史を端的に表す句のよう。司馬遼太郎街道をゆく12 十津川街道」に詳細に書いているようなので読んでみようと思う。

 

●8時27分、ようやく和歌山県に入る。168号線から「熊野古道小辺路」を行く。9時15分、「道の駅 奥熊野古道 ほんぐう」に到着。売店内の食堂に入る。まだ食は時間ではないが、「ほうじ茶ソフトクリーム」は食べられるので食べて少し腹を満たす。

 

売店の右側に「本宮への道」というコーナー」がある。熊野古道を訪れる前のちょっとした博物館であり、10時からの食堂での食事開店まで見てみる。

 

●まずは、コーナーを入って反時計周りに巡ると、「吉野・熊野・高野」の3つの関係年表が奈良時代以前から書かれている。吉野ではキーワードとして「金峯山」、熊野ではキーワードとして「熊野御幸」、高野ではキーワードとして「空海」であると私は考えた。特に「御幸」とはどういう意味だろうか疑問を持った。

 

●本宮町の歴史では、「御幸」とは「参り」や「巡礼」や「参詣(さんけい)」をするということだと理解した。「人の名、熊野御幸」と熊野の年表に多く書かれていたからである。

 

●そして、「熊野参詣行程地図」では熊野古道のルートが示されている。京都の鳥羽(とば)→本宮(ほんぐう)大社→速玉(はやたま)大社→新宮(しんぐう)→那智(なち)大社→本宮大社→京都の鳥羽 が正式なルートのようである。

 

●熊野御幸と藤原定家(ていか)あるいは(さだいえ)として、藤原定家百人一首の代表作「来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身のこがれつつ」がある。また、国宝の「熊野御幸記」という後鳥羽上皇に同行し、熊野を御幸した23日間の日記があるようだ。

以下、写真に載っていた場所を書く。

1201年10月5日 京都・鳥羽のあたり 10月9日 藤代王子 10月11日 切見王子 10月13日 滝尻王子 10月14日 近露(ちかつゆ)王子 10月14日 継桜王子 10月15日  猪鼻王子 10月16日 発心門王子 10月16日 祓殿(はらいど)王子 10月17日

熊野本宮大社 10月18日 熊野速玉大社 10月19日 熊野那智大社 10月26日 京都・鳥羽到着

王子というのは、「熊野神御子神」のことである。全部で99の王子があり、「九十九王子」と言われているようである。神坂次郎「藤原定家の熊野御幸」(角川ソフィア文庫という本も出版されているようなので、読んでみたい。紹介はしているが、私は全然知らないことだらけだなと再確認できた(笑)。

 

●最後に、メモ帳に道の駅スタンプを押す。10時以降になり食堂では、「ざるそば」と「牛丼」を食べる。

 

●食べたあと、これからの予定だが、今日は行けるところまでは行くつもりで道の駅を10時50分出発。雨も降りそうである。出発をしてすぐの場所で、自転車Escape RX3の後輪のチューブが膨らんだ箇所があることに気づく。それほど気にしていなかったが、後にトラブルの原因だと気づくことになる。

 

●168号線で本宮からの「熊野川一帯」の風景を撮影。

 

●信号「本宮」を右折し、311号線中辺路方面に入る。11時37分である。川湯温泉近くのトンネル近くで、このEscape RX3の欠点と長所に気づいたのでまとめておく。

欠点は、タイヤがつるつるのため、段差と段差の間にタイヤが入ると滑り、バランスを崩しやすい。長所は、携帯用空気入れで現在の空気圧が確認できるため、事前に空気圧不足に対処しやすい。適切空気圧は100psiである。psiとは「ポンド・スクエア・インチ」と読む圧力の単位である。

 

●さて、雨の中の行程で、雨が強くなってきており、今日は野宿はできそうにはなく、中辺路あたりの民宿に電話をしたが、なかなか見つからない。「熊野古道宿 ゲストハウスムイ」に電話をしたが、開いていない。しかし、「ゲストハウス あがえ」なら開いているかもと教えてくれ、電話番号も教えてくれた。試しに電話をしたところ、宿泊OKということで宿泊先が決まった。

 

●宿泊地が決まって、少しほっとしたとはいえ、ざあざあの雨の中の行程はやはり辛い。311号線沿い「本宮町檜葉」付近で四村川の平面のかかしを見つける。また、四村川の水面の美しさにも心を奪われる。

「細井(ほぜ)」バス停は屋根付きなので雨宿りをしながら少しづつ西に進む。

 

●「本宮町小々森」で「たこ焼き・回転焼き」という店を見つけたので、たこ焼き9個入りを店内で食べる。70代以上のおじいさんで2005年から14年間続けているようである。どこから来たかとか、14年前にくらべてここら辺は変化したかどうかなどを話しながら食べた。若い人がどんどんいなくなる、仕事がないから大阪や神戸に行ってしまう、便利さと引き換えに人情が失った、など聞いたことがある話であった。

 

●小広峠を登っていくが、ざあざあの雨の中しかも坂道がずっと続き、トンネルを抜けてもさらに坂道が続くなど、一番キツイ行程だった。「峠なんだから、ずっと坂道なのが当たり前さ」と言い聞かせながらである。15時25分、小広峠のトンネルを抜けやっと下り道になり、楽になり、16時15分に中辺路近露の「ゲストハウス あがえ」に到着。

 

●ゲストハウスの外で電話をし、到着をお知らせ。手紙が玄関に置いてあり、先に入ってしばらく待つ。20分ほどで熊野古道ガイドでもある「大野純」さん(名刺をいただいた)に出会う。私もブログ紹介カードを渡し、また洗濯や靴の乾燥などで扇風機などを持ってきてくれるなどをしてもらった。

 

●この日も行程としてよく進んだ日だとは思いながら、就寝する。