西日本自転車旅 5日目

2022年5月27日

 

  • 朝5時でも雨は降り続いている。予報では6時から7時の間がもっとも強くなり、9時には上がるようだ。予想通り6時からかなりの大雨になり、テント内の特に下から雨が染み出してこないか、少し心配だったが新品ということもあり大丈夫だった。実はテント防水シートを家に忘れてきたと思い、敷いていなかったのである。

 

  • 8時には雨が弱まったので、テントから外に出て、テント撤収を始める。フロントバッグには、一度使ったので膨らんでしまったフライシートとインナーシート、そしてスリーピングマットの2つしか入らなくなった。残りの寝袋は重くなるがリュックに詰める。

 

  • 朝8時25分に神社を出発。1号線をひたすら南下することになる。出発直後からかなりの坂道で身体にはこたえる。なにしろ空腹が大きい。クッカーを使った自炊がどうも面倒臭く感じた。スーパーマーケットで買った食品はすぐに使い切って食べないと、腐ってしまうという面倒臭さもある。パスタやラーメンなら持つのだが。そうすると店の外食に頼りがちになる。北海道旅でもかなり外食に頼りがちになり、反省点ではある。このような旅では、常にお腹をある程度満たしておかないと体力的に続けられなくなる。そんなことを考えながら、坂道では自転車に乗らずに押していくことが多く、暑さとも闘いながら進む。

 

  • 道の途中の顔の輪郭がない地蔵に旅の無事を祈りつつ、9時10分に泰阜村 に入る。「桜基公園」という桜の木といくつかの岩と立札がある場所があった。立札に書かれていた「むささびの尾風にも散る桜哉」という句が刻まれているはずなのだが、見つけることができなかった。草も茫々に生えて分からなかったのかもしれない。

 

  • 泰阜村の集落の田んぼに、水車が1つ回っていた。水の流れの力で水車を回っているが、その回転運動を使って何か作業をしている様子もない。何のために回しているのか?誰も人がいないし、聞くこともできない。

 

  •  泰阜村内の1号線の下り坂にふと目についた「泰乎通(たいこつう)の碑」

  

昭和11年、矢作水力株式会社が発電所 建設として、泰阜村 へ初めて車道を建設した。その車道は泰阜村の安泰に通じる道として、当時の長野県知事 が岩に刻んだ文字として「泰乎通」とした。北海道の新冠 町でも壁に刻まれた馬の絵があったが、壁に文字や絵を刻む文化は日本以外にもあるのだろうか?

 

泰阜村温田駅近くに面白い民話の立札と狸の置物があった。

簡単に書くと(簡単に書きすぎるか(笑)、温田村に訪れた公卿様の正体は古狸であった、ということのようだが、このような民話や伝説は好きである。

 

  • 南宮大橋を渡り、泰阜村 から阿南町 に入った。泰阜村方面と天龍村 方面からの天竜 川を橋の上から眺めた。腹ぺこであったので、「ラーメン屋めんくろう」で「めんくろうラーメン(ランチでは小ライスが無料)と「焼き餃子」を頼んだ。「お酒と本屋」内でお菓子などを買おうと入ると、自転車ライダーとしておばさんに声をかけられ、今回の旅の詳細と本ブログの紹介のカードを渡した。果たして、どのくらいの人に声をかけられ、何枚のブログ紹介カードを手渡せるのだろうか?楽しみである。

 

  • 天龍村に入り、再びひたすら天竜 川沿いの1号線を南下する。途中で生きた蛇に遭遇する。生きたもの死んだもの合わせてここまで4回目である。蛇と縁がある旅なのだろうか?長野県天龍村 から愛知県豊根村 への県境に入り、トンネルが多くなった。愛知県(静岡県も)のトンネルはうす暗く、中も薄オレンジ色の明かり一つで丑三つ時の真夜中に通るのはかなり怖いと思う。

 

見ているだけで楽しくなりそうだが、設置した人にとってはどうやら切実な事情らしい。鹿の食害?への対策のため。

この日は、佐久間町 内の「上島キャンプ場」にテント泊。到着したのが18時30分で受付は15時までのようだが、管理人のおばさんに電話で交渉し、近くの病院にくれば許可証をくれるようなので出向き何とか宿泊成功。その際に1000円を安くしてくれ、さらにラーメンと水もくれたので良しとしよう。